1860年に独断で開国を断行した井伊直弼が桜田門外で暗殺された、世にいう「桜田門外の変」をきっかけとして幕府派と討幕派が対立した頃、新撰組は誕生しました。
1863年に14代将軍・徳川家茂が京都へ上洛する際、出羽庄内の郷士・清川八郎の献策を容れ、幕府はその警護をするための人間を浪士から募集しました。
そのようにして集められた人たちは浪士組と呼ばれ、京都へ同行。そして幕府より命じられ京都守護職に就いた会津藩主・松平容保の預かりとなり、京都の治安維持のため今でいうところの警察のような役割を果たしました。浪士組はスパイとして京都に潜入している倒幕派の長州藩やその他脱藩浪士達を、次々に取り締まり、その活躍が認められ、「新選組」という隊名を幕府より与えられました。
その新撰組の中心となる隊士には、局長の近藤勇をはじめとして、鬼の副長・土方歳三や天才剣士といわれた沖田総司、ガム新(がむしゃら新八)こと永倉新八、温厚で人望があった山南敬助、最年少の副長助勤・藤堂平助、維新後は警視庁に入庁した斎藤一などがいました。
その新撰組の名が世に大いに知られるようになったのは1864年6月5日の池田屋事件からです。この池田屋事件では京都を焼き討ちにしようと計画していた倒幕派志士28名のうち、21人を捕縛、7人を斬殺するという活躍ぶりでした。
しかしながら1866年に薩摩藩と長州藩が坂本竜馬らの手により薩長同盟を結ぶことになり、そこから倒幕派は勢いが俄然強くなっていきました。さらに、幕府が政権の運営を朝廷に返上する大政奉還を行って以降、時代は、ますます倒幕へと進むことになりました。
そのような時代の流れは、いくら新撰組でも、止める事は出来ず、ついに1868年討幕派の薩長と幕府が京都の鳥羽伏見で激突することになり、その際新撰組は、得意の刀で果敢に薩長へ攻めかかりましたが、相手の持つ近代的な武器には歯が立たず、退却を余儀なくされました。
この戦いにより時代は一気に新しい時代へと移り変わりましたが、それでも新撰組は時代の流れに対して必死に抗い、戊辰戦争並びに函館戦争まで戦い続けましたが、最後は函館で新撰組終結を迎えました。
そんな新撰組には次のようなうわさがあります。新撰組に女性隊士がいたという話です。そのうわさのもとになったのは以下の二人です。
ひとりは新撰組の前身である浪士組に参加した人で中沢良之助という人物の妹であることという女性です。彼女は中沢と共に小さな頃から父親の道場剣術に励み、薙刀では父親にも負けないほどの腕だったそうです。彼女は兄が浪士組に応募して京に向かう際、行動を共にしたのですが、兄が結局京都に残らずに江戸に戻ったため、彼女も一緒に江戸へ帰ったそうです。
もうひとりは維新後に新撰組隊士の中島登が残した「戦友図」の中に女性が描かれている女性です。そこには「會藩 原五郎妹女 行年十七才」と記されているそうですが、ただ会津藩ではたくさんの女性が戦闘に参加しており、その中のひとりで、特に新撰組の隊士ではないが、中島登が会津藩・原五郎の妹が会津での戦の際に彼女の戦いっぷりを認めて記したものと思われます。
これらはあくまでもうわさ話なのであくまでも雑談としてお聞きください。
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